あとがき
この物語を書き上げたのは、2025年。
日本がかつての戦争を終えてから、ちょうど80年という節目の年です。
けれど私の目には、いまの日本が、どこか「戦前」のような、得体の知れない重苦しい空気に包まれているように見えます。
少子化やデジタル化という社会構造の変化の中で、日本がかつて世界に誇った経済力は、みるみる衰退し、他の先進国から取り残されつつあります。
そして、日本全体が自信を失った反動でしょうか。日本としての誇りを強調する声は、日に日に大きくなっています。
その一方で、かつての日本が、なぜ道を誤り、どのようにして戦争という悲劇へ突入していったのか。
その痛切なプロセスは、忘れ去られようとしているように感じます。
現代は、資本主義が極限まで加速した時代です。
「どうすれば儲かるか」
「どうすれば効率的か」
設計、建築、マーケティング、デザイン、ITといった、すぐにお金に変わる専門知識には、多くの人と金が集まります。
その一方で、歴史や宗教、文化といった「お金を稼ぐことに直結しない学問」の価値は、暴落し続けています。
今どき、歴史を学ぶためにお金を払う人は稀でしょう。そもそも学校以外で歴史を教えることでお金をもらえる人はほとんどいません。
「役に立たない過去のことより、明日のことを考えろ」
そんな声が、どこかから聞こえてきそうな時代です。
しかし私は、調査を進めれば進めるほど、歴史を学ぶこと。過去の声に耳を澄ませることが、私たちが同じ過ちを繰り返さないために必要であることを強く痛感しました。
未来の危険を知らせてくれるのは、いつも“過去”です。人間は過去を忘れると、未来に起こるであろう過ちに気づかずに突き進みます。
歴史が教えてくれるのは、教訓ではなく、過去を忘れることの恐ろしさなのだと思います。
では、なぜ歴史家でもない私が、これほどの熱意を持って、一族の過去の調査に没頭したのでしょうか。
その答えのひとつは、私の家の庭に鎮座する、あの「荒神様の石祠」にあります。
もし、私の家の敷地内にあの石祠がなかったら、私は吉松家の歴史になど、これっぽっちも関心を持たなかったでしょう。
物心ついた頃から、庭の片隅に苔むして佇むその石。子どもの頃の私は、それをただの“古い石”として見ていました。
けれど大人になるにつれ、そして文字が読めるようになるにつれ、石祠は、ただの石ではなくなっていきました。
そこには、250年前の先祖吉松種徳(定恒)が刻んだ、「この地で生き抜く」という悲壮な決意が込められていました。
種徳は、時代の変化を悟った人でした。
1000年続いた神職の看板を、守り続けることが“正しさ”だと知りながらも、それでも、子孫を生き延びさせるために、その看板を下ろした。
神職としての誇りを捨て、土を耕す側へ転じ、荒神様を迎え、そして石に刻んだのです。
「ここで生きる」「ここで続ける」その意志を、紙ではなく、石に。
考えてみれば、これはとても切実な行為です。
紙は燃える。水に流れる。虫に食われる。
記憶は薄れる。言葉は変質する。
だから、最後に頼るものとして、石に刻む。
自分の命が尽きても残るものに、決意を“固定”する。
先人・吉松種徳さんがそう考えていたのかは知るよしもありませんが、結果的に歴史の痕跡を残す方法が石へ刻字であったことが功を奏し、現代で僕に歴史を掘り起こすきっかけを生みました。
あの石祠は、単なる石ではありません。
「どんなに時代が変わっても、大切なものを守り抜け」
そう語りかける、先祖からのタイムカプセルだったのです。
そして私は、その無言の声に、いつの間にか動かされていました。
泥に埋もれかけた歴史を掘り起こし、失われかけた名を拾い上げ、先人たち残した調査の記録やメモを、つなぎ直したくなった。
そうして生まれたのが、この『吉松家全史』です。
「吉松」という名は、古代、斉明天皇から「吉報を待て」と諭されたことに由来すると伝わっています。
できることを全力でやって、祈り、耐え、そして希望の「吉」が訪れるのを信じて待つ。
その姿勢は、いまの私たちにも必要なのかもしれません。
古代の吉松定家が国の行く末を案じて祈ったように。
中世の吉松種良が家を分割してでも生き残りを図ったように。
江戸の吉松種政・直江が、消えゆく歴史を必死に書き残したように。
そして昭和の吉松義典・道哉・隆太郎たちが、埋もれていた歴史を掘り起こしたように。
「これをやって何になる?」
「誰が褒める?」
「お金になる?」
そんな問いは、彼らの前では、たぶん無力だったと思います。そして、彼らの苦闘と決断の歴史を知れば、現代の閉塞感など、恐るるに足りません。しぶとく、したたかに、形を変えながらでも生き抜いてきた「吉松一族」を知っているのですから。
そして、そんな吉松家の歴史から学べるいちばん大切なことは「現状認識の大切さ」だと確信しています。
彼ら吉松家の先人たちが生き延びてきたときには常に、洗練された現状認識能力の高さがありました。
主君が変わる時には分家をして生存を図る。
神社の権威が失墜してしまう前に神職から農家へ。
新田開発が拡大したときには、効率的に水を汲み上げる水転車を考案。
職業選択の自由が生まれてすぐに医業を学ぶことに注力し医師へ。
現状を正しく認識し、時代にあった適切な意思決定をしてきた吉松家の先人たちの判断は見事なものでした。その結果が、こうして今も朝倉の地で吉松の姓を持つ人々が平和に生きることができていることなのだろうと感じます。
「吉」を待つとは、ただただ待つことではない。
過去を学び、現状を正しく認識し、次の一手を打った上で待つことなのだと、私は思います。
この『吉松家全史』が、未来を生きるあなたたちが迷ったときの役に立てば幸いです。
どうか、この物語を心の片隅に置いてください。
そして、もし再び時代が嵐に見舞われたとき、吉松家に限らず、過去を生きた先人たちの生き様を思い出してください。そこには必ず、困難を乗り越えるためのヒントが隠されているはずです。
歴史とは、勝者の記録だけではありません。名もない日々の選択と、家族の命を守ろうとした小さな決断の積み重ねです。
その積み重ねが、いつか誰かの背中を支える。私はそれを、庭の石祠から学びました。
先人たちへの深甚なる感謝と、これからを生きる後世の「吉」なる未来を祈って、筆を置きたいと思います。
令和7年(2025年)12月31日
宮野吉松家 坂田 拓也
吉松家全史物語について
吉松家全史物語の注意事項
第一章:古代・創世記
神話と歴史の交差点
第二章:平安・鎌倉期
祈りと剣の契約
第三章:室町・戦国期
秋月家との血脈と繁栄
第四章:安土桃山期
吉松家最大の危機と決断
第五章:江戸期
現代へつなぐバトン
第六章:近現代
激動の近代と離散、そして再会
あとがき
未来へ続く「吉」を待つ心
【番外編】吉松家の調査を終えて
調査のきっかけなど
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