【番外編】吉松家の調査を終えて
2025年11月。約1年をかけて進めてきた吉松家の先祖調査に、ひとまずの区切りをつけることができました。
この1年は、歴史書を読み、現地を歩き、人に話を聞き、系図を組み直すという、とても濃密な時間でした。
調査を始めたきっかけ
もともと歴史が好きで、自分が暮らす朝倉という土地の古代史をもっと深く知りたい。
その思いが最初のきっかけでした。
調べる途中で、古代朝の歴史は、”恵蘇八幡宮にヒントがありそう”みたいなことを考えていると、過去に母親から「吉松は恵蘇八幡宮に関わっていた」と聞いたことを思い出しました。
このときは、まさか自分の先祖の吉松家が初代(661年)から1000年以上続く宮司家だったとは想像すらしていませんでした。
このような流れで、調査の焦点が“古代朝倉”から“吉松家”へと定まったのは、2024年10月末ごろのことでした。
調査の流れ
今回の調査の流れは、大まかに次の通りです。
① 朝倉に関する歴史書を読み尽くす
まず最初に行ったのは、文献を片っ端から読むことでした。
『朝倉風土記』
『朝倉町史』
『聖蹟と朝倉』
こうした資料の中に、江戸時代の記録で何度も登場する「吉松但馬」の名があり、宮野地区の神社で中心的な役割を果たしていたことが分かってきます。
② “先祖の墓石群” を読み解く
吉松家は母方の先祖であり、自宅近くには古くから続く墓石群があります。
一つ一つの文字を確認していくと、
吉松但馬
吉松壱岐(地名を名乗る例)
吉松種〇(秋月氏ゆかりの“種”)
こうした名前が次々と現れ、歴史上の記録と現地の痕跡がつながり始めました。
③ 吉松家と秋月氏のつながりを追う
「種」という字が秋月氏に使われることから、両家の関係に興味が向かいます。
吉松家と秋月氏はどこで交わったのか?
いつ血縁が発生したのか?
古文献を調べ続けた結果、
恵蘇八幡宮宮司・吉松定元の娘が秋月種照と結婚し、その子どもを吉松家が養子に迎えた
という記述を発見。
この子こそが吉松式部種助であり、“吉松家の種”の始まりでした。
④ 仮の系図を作成 → 親族へ共有 → 新資料との出会い
こうして作った仮の系図を親族へ共有すると、
「同じようなことが書かれた本があるよ」
と言われ、そこで出会ったのが『吉松家系図解読』でした。
20年以上前に吉松家を本格的に調査した先人たちによる大変貴重な研究記録で、多くの点が自分の仮説と一致していました。
実はこの本の存在自体は少し前から知っておりましたが、近所の図書館に在庫はなく、ネットでの中古販売でも見つからず、東京か大阪の国立図書館で確認するしかないと思っていたため、調査の一番最後に国立図書館で確認しようと考えていました。
⑤ 情報を統合して、現代版「宮野吉松系図」を完成
最終的に参照した主な情報は、以下の通り。
『吉松系図(直江系図)』
『吉松家系図解読』
宮野地区の墓石群
中世〜江戸期の古文献
これらを統合し、一つ一つの整合性・信頼性を確認しながら、現代版の宮野吉松系図を完成させました。
調査を終えて感じること
正直なところ、もし最初から「吉松家系図解読」に出会っていれば、調査はほとんど必要なく数ヶ月で終えることが出来たと思います。
それほどに「吉松家系図解読」は、圧巻の情報量が詰まった大作でした。
ですが、様々な歴史書を読み込み、現地を歩き、推理し、考え、確かめる
そうしたプロセスを自分自身で経験できたことは、何にも代えがたい財産になりました。
最近は、先祖調査を業者に外注するといった話も耳にしますが、自分で調査するというプロセスにも相当な価値があることを皆さんに伝えたいです。
先祖の足跡と向き合い、1400年の歳月に思いを馳せるという体験は、人生の中でも特別な時間だったと感じています。
吉松家全史物語について
吉松家全史物語の注意事項
第一章:古代・創世記
神話と歴史の交差点
第二章:平安・鎌倉期
祈りと剣の契約
第三章:室町・戦国期
秋月家との血脈と繁栄
第四章:安土桃山期
吉松家最大の危機と決断
第五章:江戸期
現代へつなぐバトン
第六章:近現代
激動の近代と離散、そして再会
あとがき
未来へ続く「吉」を待つ心
【番外編】吉松家の調査を終えて
調査のきっかけなど
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